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そして自分の仕事の仕方に辿り着く

二つめの広告代理店時代

 

仕事を自分に引き寄せた


最初の代理店を辞めたあとは、アメリカを20日間ほど一人で旅しました。

帰国後就活を開始。

ですが、自分がなにをしたいのかよくわからず。

前社の経験から、なんでもいいやで就職することが怖くもあり、活動自体は冴えないものでした。

広告代理店は避けていました。当然なかなか内定はとれず。

思いのほか早く貯金の底が見え始め、焦りに駆られていきます。

そのとき前社時代の取引先であった広告代理店から電話が。

「アメリカにいるのかと思ったよ。日本にいるならウチ来いよ」

「僕はもう広告の仕事はしないと決めたので」

「そんなのウチで働きながら考えればいいじゃん。なかなか決まらないんだろ。」

「そ、そうですね・・では・・お世話になります・・」

というワケでお金で信念を捻じ曲げ入社(笑)

 

仕事は前社と同様、業界誌に広告をとってくること。

今度は飲食店経営者向けの雑誌です。

懸念はしていましたが予想通り、仕事の意義がわからず悩むことに。

入社してからかなり長い間それは続きました。辞めたいけどやりたいこともない。失業する恐怖。

それらに苛まれる続きを味わいます。

それでも慣れは恐ろしく、腰が入らなくても新規で仕事はとれるようになっていきました。

変わるきっかけは、横浜の食材輸入会社様のお仕事でした。

出版社との事情があり、あまり良くない雑誌を勧めました。要するにこちらの都合でということです。

おそらくその雑誌に広告を掲載しても効果はないであろうとわかっていて。

10万円の広告枠で3ヶ月掲載、プラス原稿制作費数万円。

あわせて30数万円頂戴しました。

3ヶ月後の結果は思った通り、問い合わせが2、3件。当然売り上げに繋がっていません。

このお客様は広告をおやめになりました。

このとき、もうこういう仕事の仕方はやめようと。

これではお客様の使い捨てになってしまう。

このお客様はそんなに大きな会社ではありません。

30数万でも人件費一人分くらいのコストであり、決して安い金額ではなかったでしょう。

そして

例えば他の広告代理店がほんとにいい企画を提案してきても、もう見ようとしないと思うのです。

広告業自体が信用を失う。そういうことなのだと思った。

この案件をきっかけに仕事の仕方変えました。

これまで感じていた疑問を仕事にぶつけてしまおうと。

この頃には「お客様の広告活動を代理するから広告代理店なんじゃないのか、出版社の広告部ではお客様を見ていない」​という考えを持っていました。

それからは、初めての訪問時にこちらの売り込みはしないことにしました。僕や雑誌についてはご紹介程度。

そしてお話を聞くことに徹しました。

はじめはとにかく質問を投げかけていく。少々的外れなことをいっても構わないと割り切りました。

提案する雑誌も会社が扱っているものにこだわらず、そのお客様の商品にあうものを探す。そういう営業に変えました。

広告営業の仕事は好きになれないけど、今与えられているのはこのステージだし。

​であれば、やれることはすべてやっておこう、思いついたことはすべて投入していこう、そういう気持ちでした。

あるとき、東北の酒蔵さんのご担当者様(女性)と電話でお話ししていました。

もともとは会社を辞めた営業マンのお客様で、僕が引き継ぎました。

お話を伺っているときにパッと見えた。

「この酒蔵さんはプレミアムなお酒として売りたいんじゃないか」

ご担当者様が明確にそうおっしゃったわけではありません。

ですが、会話の端々からそれが見てとれた。それだと提案すべきは飲食店経営誌ではない。居酒屋さんが販路としては重要ではないからです。

そこで書店へ行ってハイエンド系のファッション誌やライフスタイル誌をリストアップ。

出版社へ電話して見本誌を取り寄せました(取りに来いという出版社もありますがw)

そしてご担当者様に送る。

頼まれたわけでもなく、僕の仮説に基づき「勝手に」送りました。

(もちろん趣旨の送付状は添えましたよw)

ここでも多少は的外していても構わないという考えで数勝負。10誌程度お送りしたと思います。

少ししてご担当者様からお電話が。

「社長がこの雑誌とこの雑誌に興味を持っています」

仮説は当たったようでした。

そして「東京の代理店さんはさすがです!」とおっしゃって頂きました。​嬉しかったですね・・

結果を先に申し上げますと、これはあるライフスタイル誌でのタイアップ広告のお仕事になりました。

料金は数百万円(金額伏せます。スイマセン)

それまでの仕事の単価が5万円から30万円くらいでしたから破格でした。

今思えばこの広告はブランディングが目的であり、商品がすぐ動いたわけではなかったのですが、

高額だったにもかかわらずお客様の満足も得られました。

これは自分にとって大きかったです。

自分はこの方向だなという手応えを感じました。

この辺から仕事が楽しくなってきた(笑)

この酒蔵さんの案件もそうなのですが、たいていの場合、営業は自分で企画は立てません。出版社に頼む。

でも僕は企画書を作らせて決まらなかったとき、出版社に申し訳ない気持ちになることがよくありました。

​彼らも時間を割いて作業してるわけですから。

そこで思いついたのが「俺が企画書を書けばいい」

自分で企画を立てれば失敗してもリスクは自分の労力だけ。

出版社に悪いな、という罪悪感抱えることもない。

何より好き勝手に企画を作れる。いやこうじゃなくてと出版社に直させることもない。

これは自分でやるしかないなと(笑)

この考えに至った会社帰り、秋葉原でパワーポイントを買いました。

そして「企画書の書き方」的な本を何冊か読み企画書を書き始めます。

初めは売れません。当然です(笑)

企画書お見せするのは勇気がいります(これは今でもw)。

ですが「牧野さん、採用できないけどこういうご提案嬉しいです」とおっしゃってくれるお客様も現れるように。

そして、だんだんですがお買い上げが出てきた。

実際は売れようが売れなかろうが、企画を立てること自体が楽しい時期でもありました(笑)

そして前述の酒蔵様も再度お買い上げ下さいました。

今回も料金は数百万円。雑誌は別のものを使いました。

この酒蔵様にはもう感謝しかありません。

そのうち自分の広告企画を5本平行で進行している、そんな状況になることもありました。

この頃には仕事が嫌で悩むというのはあまりなくなっていましたね。
ていうか、あまりそういう記憶がない(笑)

自分の仕事の仕方を見つけたのでしょうね。

そしてコピーライトへ

そしてコピーライトへ

書店をぶらぶらして見つけた「広告コピーってこう書くんだ読本」。元博報堂のコピーライター谷山雅計さんの本です。

谷山さんは広告批評の講座にも講師でいらっしゃっていました。なのでお名前も仕事も存じ上げてまして。

(よく怒ってらっしゃった印象が強いw)

前述のようにコピーライターとは何をしている人か知っていましたから、アイデア出しの参考にと購入。

夕方会社で読んでいました。

その中にあった「広告コピーは描写じゃなくて解決」

この一文を読んだとき、体に電気が走ります。

「わかったぁ!」と。

「そうか!お客さんの課題を解決すればいいんだ!」

この仕事は人のお役に立てるんだ、お金もらっていいんだ。

広告業の意義について知った瞬間でした。この仕事への後ろめたさが消えた。

(このお言葉はコピーの定義について述べているのですが、僕は広告業そのものに当てはめていたのですよねw)

すぐにお客様の商品でキャッチコピーを100本書くという・・・

それをお客様の広告に貼り付けファックス送りつけるという・・・

お電話で「どうしたの?」といわれました。そりゃそうですよね(笑)

さらに、東京メトロのマナーポスター「家でやろう」を見て、またしても衝撃を受けます。

「ちゃんと解決になっている!」

何よりマナーポスターなのに説教になっていない。

行為自体を責めるのではなく、こうしたらどう?という提案になっている。

もちろん見た人すべてが頷くわけではないでしょうけど、今までのマナーポスターよりは「そうだよな」と思わせる説得力がある。今までより効果があるのではないか、少なくともなんとか解決しようとしているのではないか。

これはコピーというものをちゃんと勉強してみようという思いが湧いてきました。

そして宣伝会議コピーライター講座を検討することに。

実際は「仕事しながら続くだろうか」「お金かかるわあ」「プロになんかなれるわけないだろ」と不安が多く決められない。

そこで説明会に参加しました。前回のように「暇だから」という気楽な感じではありません。

ですが事務局の方の「広告クリエイティブのノウハウはどんな仕事でも使えます」の一言で決意。その場で申し込みました。

プロになるとか続くのかとか、そういうのはとりあえず置いといて、とにかくやってみたいのだから。

続かなくてもリスクはお金だけということで(笑)

あれだけ広告の仕事で悩み、辞めることばかり考えていたのに、

再度コピーライター講座を受講するという・・(笑)

前社時代に触れた自分の鉱脈に素直に従うことになりました。

そして、この頃から「本来、広告代理店が売るものはメディアではなくアイデアなんじゃないか」という考えがありました。講座でその考えが確信になっていきます。

​自分の考えを仕事に投入することで、この仕事を自分事に出来た。

なにより仕事に誇りを持ちたかった。それが見えたのだと思います。

​AD時代や出版社時代にはそれがありましたからね。

さあコピライターへ!

とはすんなりいかず・・一体なぜ?
次回「そして決意!」

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