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​そして決意

最後の広告代理店時代

 

有頂天、そして落胆(笑)

 

宣伝会議コピーライター講座への挑戦が始まりました。

まず基礎コース半年です。

今回は前のように暇つぶしではありません。なので緊張していました。

 

課題のすべてに賞が出ます。それが「金の鉛筆賞」

課題によりですが、だいたい上位10人から5人が選ばれます。

 

そんなの俺には無理だろう、無理しないでおこうと思っておりました。心折れないように(笑)

ですが、開校式にゲストでいらしたコピーライターさんが

「ぜひ、金の鉛筆賞を狙ってください。ここでしか貰えません」とおっしゃいまして。

なら狙ってみよう、とすぐに気が変わるという(笑)

 

結果をいってしまうと、基礎コースでは課題で6本、皆勤賞で1本。計7本獲れました。

僕がコピーを書くきっかけとなった「広告コピーってこう書くんだ読本」の著者、谷山雅計さんの課題でも3位で金の鉛筆頂くことが出来ました。

 

授業で谷山さんが「皆さんの作品と、上位3人の作品と、なにが違うか見比べてみて下さい」とおっしゃいまして。

基準の3人に選ばれた(笑)嬉しかったです。

 

思いのほかとれたので、こりゃプロでやれるかな?などという色気がよぎり始め(笑)

なにより授業が面白かったです。皆勤なのも楽しかったから。

 

基礎の途中から、上級コース受講がアタマに浮かび始めていました。

上級は定員は約30人。基礎は100人3クラスありましたから1/10です。

しかも先生も3名。おひとり一回ではない。レベルが上がるのは明らかです。

基礎で結果が出たので受講したい・・・でもビビっていました。

さらに10数万かかるのか・・課題のレベル上がるよな・・先生怖かったらどうしよう・・(笑)

 

ですが受講しました。いかなきゃ後悔するだろうと思ったから。

 

結果は・・もうメタメタで(笑)

金の鉛筆賞は3本が精一杯。課題数は基礎より多いので惨敗でしたね。

上級になると、かなり書ける人もいまして。

もう「参りましたあ!」と思うようなもの書いてくる。

自信なくしました・・こりゃプロなんか無理だわと(笑)

 

と、いいつつ課題をまとめた作品集を作り、制作会社にアタックを開始。

僕がいた広告代理店は制作部がなく営業のみの会社でしたから、転職しようと思った。

(当時の会社の皆さん、ナイショで転職活動してましてスイマセン m(_ _)m )

 

振り返ると、無理だわと思いつつ行動はしてるという矛盾(笑)

今思えば、この会社でコピーライターとしても活動してもよかったかもしれないです。

力不足を思い知らされましたが、終わって思うのは上級コースが本番です。

基礎を受講して面白いなと思ったら上級行ったほうがいい。それくらいの内容ですから。

基礎で金の鉛筆賞あまり獲れなかったなどは考えなくていいです。上級でグンと伸びる人もいたので。

基礎が広告の世界について知る、実際に書いてみるという感じなら、上級は理論から体系的に学ぶという感じが僕はしました。

また、上級は人数が少ないので、みな同期として繋がりになります。仲間ができる。これは財産になります。

しかし、再度広告営業へ

制作会社へ応募始めました。

「ブレーン」などの専門誌に掲載されている求人はもとより、検索で見つけた制作会社さんへお電話差し上げたり、

広告年鑑の作品にクレジットされている会社さんにもお電話しました。これくらいの広告作ってるところなら入りたいと思いましたから。

「あの・・コピーライターで応募差し上げたいのですが。もしよろしかったら、作品集ご覧いただきたいのですが・・」

「いいですよ。どうなるかはわかりませんが、お送りください」

だいたいこんな感じで、応募はできます。

応募はできます(笑)

ですが、採用されるかは別。

実際、面接になったのは一社だけ。

結果、50社以上落ちました。

広告営業で実績があっても、コピーライターとしては実績がない。講座の課題だけです。

年齢的にもそれなりにいってるわけです。

なので、かなり厳しかった。それが現実でした。

そのうち、勤めていた広告代理店(二社目のところです)を事情で辞めることになり。

ブレーンのCー1や宣伝会議賞などにも応募していましたが惨敗で。

もう自信がなくなっていました。

もう、コピーライターはあきらめよう。

ここまでよくやったわ、と。

泣きながら一人で缶ビール飲みました。

ですが「広告営業でもお客様の課題解決はできる」と営業で広告代理店に再就職活動始めることにしました。

某派遣会社さんの就活セミナーに通いまくりまして、自分を鍛えたというのもあったのですが、

5社内定頂くことができました。

何度、職務経歴書書き直したことか。

何度、鏡に向かって面接の練習したか(笑)

ではありますが、営業だと内定とれるんだなと思いましたね。

そのうちの一社にお世話になることにしました。

ご期待には添えない結果に

ここが最後に在籍していた広告代理店さんです。

期待されて入社しました。

営業ですから売り上げを期待されているわけですが、結果的にはお応えすることが出来ませんでした。

前社時代のようにやろうと思っていましたが、なかなかうまく出来ませんでしたね。

なぜだろう、環境なのだろうか。

一年半いて、辞めることになりました。売り上がっていないのですからしょうがないです。

入社時に、うちはルートセールスが主で、新規開拓はあまりやっていないというお話は伺っていました。

なので、そこをお願いしたいと。

僕はまったくコネクションがない会社に電話をかけて、商談に持っていきますが、

こうやるのか、すごいなと思った、ということをいわれまして。

これはびっくりしました。自分では普通だと思っていたので。

「え、そうですか?誰でも出来ると思いますよ」とお答えした記憶があります。

確かにそれまで新規開拓はかなりやっていたので、その工夫というのは自分なりにありました。

でもこんなのみんなやってるでしょと(笑)

特別なスキルだとはまったく思っていませんでした。

実際、この会社でもコネなしから450万の仕事を作ったり、新規をとってはいました。

もっととらなきゃいけないということなんですけど(笑)​

ですが、そこを褒められたことはなかったので、嬉しかったのを覚えています。

このときは「所変われば品変わる」的な印象しか持っていませんでしたが(笑)

そして決意

そして、この会社で上手くいかなかったとき、思ったことがありました。

「ほんとはコピーライターやりたい。でももう無理だから営業でいい。営業でも課題解決はできるし」

そういう考えで広告営業に戻ったから上手くいかなかったんじゃないか。

そう思いました。

 

本音ではコピーライターやりたいワケです。

やりたいんならやったほうがいい。

もうフリーでいいから、コピーライターの看板出そう。

やってみたら?と背中押してくれる知人もいたというのもあるのですが、

このときそう決めました。

なので、この会社さんを辞めた後は就活はしていません。

ただ、とにかく疲れていたし、ビビってもいました。

コピーライターやるって周りになかなかいえないし(笑)

8月いっぱいで退社したのですが、年内は遊んでいて(笑)自分を緩めていました。

12月から名刺などの準備を始めて、年明けに起業というカタチをとりました。

こうやって三社振り返ると、まさか自分が広告業で独立するとは。

コピーライターになるとは。

最初の広告代理店入ったときからは、まったく想像もできない。

実際、経営者はなかなか大変。

今までお世話になった会社の社長さん達も大変だったんだろうなと思っています。

確かに会社員時代とはやることは同じではないです。月給ではないですし仕事のプレッシャーも変わりました。

ですが、

結局、会社員であろうが、経営者であろうが、なんであろうが、

やることやるっていうことにおいては、変わりはないなと思うようになっています。

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